2012年03月24日

【純情喫茶小説 1】 「富士山コーヒー」 チェン・スウリー著

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ののちゃんは、
やっぱり少しかわってるなぁ…
とターターは思った。

だって、
こないだふたりで喫茶店にいった時も、

ののちゃんは、
紅茶のポットのふたをはずして、
それを真横から見つめ、

ねー、これ、
帽子かぶってる人に見えるでしょ?

って、いきなり言ってくるんだもん。

ターターは、一瞬のけぞったけど、

あまりに、自然に、
ののちゃんがそう言ってきたから、

ポットの取っ手のとこをののちゃんに向け、
じゃ、これ見てると象にみえてくるから、
って、切り返した。

ターターは、
突拍子のないことを言うののちゃんに
いつもびっくりしつつも、
こういう会話、実はちょっと気に入っていた。

ターターと、ののちゃんが出会ったのは、
まだほんの3週間くらい前のことだった。

歌舞伎町のちっちゃなバーで、
ターターの隣に、ののちゃんは、座っていた。

しかし、偏屈なマスターのやってる
歌舞伎町の汚い雑居ビルの片隅の
この変わったバーに、
なんで二十歳そこそこの女の子がいるのか…?

キミ、なんでこんなとこにいるの?
ひとりで、この店にきたの?

ターターは、
興味津々で、この子にたずねた。

ののちゃんは、
この店、古ーい変な歌ばっかりかかってるから、
面白くて来てるのだと言う。

この店は、
マスターの趣味だか、
さっぱり聴いたことのないような、
戦前の歌謡曲ばかりかかっていた。

ターターは、
わぁ、この子、なんなんだろう…!
って、強く引かれるものを感じた。

それから、
ふたりで会うようになった。

ターターは、
普段は、大学で講師をしていた。
美術大学の学芸員課程を受け持っていた。

しかし、
ターターは、
学生の程度の低さに、
普段からほとほと嫌気がさしていた。

だいたい、美術を勉強してるのに、
なんだこいつら!

美術に情熱を持ってる人間が、
まったくいないじゃないか…

ある時、
学生たちを連れて、
美術館に行ったことがあった。

その時、
ある女子学生が、
ターターにたずねてきた。

先生、この作品は、
どういう意味なんですかぁ?

ターターは、
内心、冷え冷えするものを感じていた。

ほんとは、
意味なんか聞くなボォケェ!
って言ってやりたかった。

こいつらは、
適当な解説が付いてないと、
作品を安心して、観ることもできないんだ。

こういう連中が、
やがて学芸員の資格を取得して、
知りもの顔で、ひどい解説をまたつけやがる。

なんと、インチキな連中の多いことか…
作家も、たまったものではない。

だいたい、
この女子学生をはじめ、
こういう連中は、美術を愛しているのではなく、
美術をとりまく周辺の
「雰囲気」を愛しているに過ぎない。

頼むから、
さっさと、田舎に帰って、
お嫁さんにでもなってくれ…

私、美術鑑賞が趣味なんですって、
ほざいて、いい趣味ですねって、
ちやほやされてろ!
ボォケェ!

ターターは同様に、
昔から、自分の書いた詩を読んでください
って、言い寄ってくる女の子たちも苦手だった。

だって、
感想は?とか聞かれても、
趣味悪いですねとしか答えようがないんだもん!

しかし、
自分の感受性を声高にアピールしてくるような
うんざりする連中に比べ、

ののちゃんは、
レベルが高すぎた。

不思議ちゃんを、
演じているのでもない。

それにしては、ネタが豊富すぎると思った。

ある時は、
タルタルソースの由来について、
ふたりで話し合った。

ののちゃんの説によると、
タルタルソースの
タルタルとは、「足る足る」のことで、

つまり、
それがあれば、
充分にことが「足りる」

万能のソースですよっ
て、ことらしい。

うーん…
そういう気もしないでもない。

また別の日には、
“おっちょこちょい”の語源について、
意見を述べ合った。

その時、
同義語に“すっとこどっこい”
ってのがあることを、
ののちゃんが指摘し、

ひとをけなすにしても、
この言葉は、あんまりではないかと
まじめに語るののちゃんに、
ターターは、笑いをこらえることができなかった。

ののちゃんは、ののちゃんで、
ターターの、このくったくのない笑顔が好きだった。

まじめな人なのに、
笑顔がかわいいと思った。

それに、
自分のこのへんてこな会話に、
こんなにくいついてきてくれる
ターターの教養の深さに、
なんとなく憧れを抱いた。

ある時、
上野公園をふたりで散歩してた時、

寒いから、
温かいコーヒーでも飲む?
と、ターターが言うと、

自動販売機の前で、
じゃ、わたし、富士山コーヒーにする
と、ののちゃんが言った。

ターターは、
一瞬、ぽかんとしたが、
ののちゃんが指差してる方を見て、
すぐに、
それがジョージアの青い缶のコーヒー
であることを理解した。

これは、富士山じゃないよ。
ターターはそう言って、
温かい缶コーヒーをののちゃんに放り投げた。

ののちゃんは、
それをキャッチすると、
え?富士山だよ?
って、返事した。

バカだな、どう見たって、
富士山じゃないじゃん、見てみ!

じゃ、なんの山なの?

エメラルドマウンテンとかって、
書いてるよ。

なに、エメラルドマウンテンって?
どこの山?

知らないけどさ…

じゃ、富士山でいいじゃん。

え?おかしくね?それって…

ポッカのコーヒーを「顔のコーヒー」
っていうのと同じだよっ

けど、顔のコーヒーは、認知されてるけど、
富士山コーヒーなんていう人いないから!

実に、どうでもいいことだった。

けど、なんでだろう、
なんかカリカリして、
この日、大人気なく、
ターターは、突っかかってしまった。

ののちゃんも、
もともと勝気な子だったから、
少しふくれて、
バカっていう目つきでターターを見つめた。

わたし、仕事だから。

ののちゃんは、そう言って、
駅に向かった。

ターターは、黙ってうなずいた。

ののちゃんは、歌舞伎町で、
キャバクラのアルバイトをしていた。

あまり、ターターは、
ののちゃんのことについては、
知らなかった。

どこの店で働いてるのか?
売れっ子なのか?
客にどんな接客をしてるのか?

あるいは、
ターター自身も、
ののちゃんにとっては、
何人もいる「旦那」のひとりに過ぎないのか…?

そんなことは、
考えてみたくもなかった。

けど、なんか、
今日はそんなことばかりが、
ぐるぐる頭の中をよぎった。

そんな気持ちをまぎらわすように、
湯島のバーで、
ターターはめずらしく深酒をしてしまった。

気持ち悪い。

なんか、いてもたってもいれない気持ちだった。

タクシーを止めると、
ターターは、歌舞伎町に向かった。

働いてる店の名前くらい、
聞いとくべきだったよ…

ターターは、
とんでもなく自分は間抜けであると思った。

仕方ないから、
歌舞伎町をぶらついた。

客引きのお兄さんたちが、
ひっきりなしに声をかけてきた。

あの、ののちゃんのいる店、
知ってますか?

そう聞きたかったけど、
わかるわけもなく、
ただ、あてもなくほっつき歩いた。

区役所通りの入り口、
新宿文化センターに抜ける細道のとこに、
いつも「新宿の母」がいる。

ターターは、
なんとなく顔見知りになってたから、
前を通る時には、
いつも声をかけていた。

おばちゃん、寒いね、今日は…

あ、お兄ちゃん、ちょうどよかった。
おばちゃんね、ここ、動けないから、
すまないけど、ちょっと、おつかい頼めないかね…?

いいよ。ひまだし。

そこの、サンクスで、
温かい缶コーヒー買ってきてくんないかね。
お兄ちゃんのも、買っていいから。

そう言って、新宿の母は、
ターターに5百円玉を渡した。

うん。わかった。

おばちゃんは、富士山コーヒーね。
お兄ちゃんは、なんか好きなの買っていいから。

え…?

ターターは、聞き返そうと思ったけど、
よした。

新宿の母は、はっきりと、
富士山コーヒーと言っていた。
間違いなかった。

あ、あの富士山のやつね…

そうつぶやくターターは、
自分のことをバカだと思った。

結局、ターターは、
サンクスで、富士山コーヒーを2本買った。

おばちゃんと一緒に、
温かい缶コーヒーを飲んだ。

おばちゃんと話しながらも、
頭の中は、ののちゃんのことでいっぱいだった。

ののちゃんは、
自分よりも、もっと広い世界を知っているんだと思った。

ターターは、
学生くらいの年代の若者をみると、
無条件で、バカにしてしまってるのは、
これは、自分は職業病だと思った。

なんか、
ののちゃんに対する自分の気持ちを悔いた。

そして、
ある決心が、ふつふつと自分のなかに
沸いてくるのを感じた。

今日、ののちゃんに、
この自分の気持ちを伝えよう。

好きですって、伝えよう。

この多くの人の行き交う大歓楽街で、
めぐり合うことができるかどうかもわからないのに、

ターターの気持ちは、
温かくなった。

もちろん、
手に握り締める富士山コーヒーの温もりは、
とってもやさしかった。

富士山コーヒー、
なんて、ナイスなネーミングなんだろう!

ナイスって言うのも、
微妙に古いよな、くくくっ…(笑)
    



表紙イラスト・デザイン : 萩原 知世
   
   
   
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posted by ジャンク派 at 13:12 | Comment(0) | 【純情喫茶小説シリーズ】