2011年07月19日

【本】 きらびやかな知識の集合体に魅せられて -「黒死館殺人事件」小栗虫太郎

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小栗虫太郎「黒死館殺人事件」。

以前紹介した「ドグラ・マグラ」に続き、
日本探偵小説界の三大奇書と呼ばれる一冊だ。

「ドグラ・マグラ」は緻密な計算の上に書かれた作品だが、
こちらはもっと野放図で破天荒。
より、読み手を選ぶ作品である。

分厚くて読むのに難解な小説ではあるが、
あらすじは簡単で、歴史ある洋館で起こる連続殺人事件を名探偵が解決する。

探偵の名は法水麟太郎(のりみずりんたろう)。
法水という名字は「ほうみず」とも読め、
すなわち「ホームズ」からとったのだろうと思われる。

もっとも法水の言動は、あまりシャーロック・ホームズ風ではない。
虫眼鏡をもって駆け回るよりも、事件に関わる人々の心理を読み解いていくタイプ。

どちらかと言うと戦前アメリカの探偵作家ヴァン・ダインの
創作した名探偵、ファイロ・ヴァンスがモデルになっているようだ。

しかしこの作品は、探偵小説でありながら
「アンチ・ミステリ」な作品と呼ばれている。

粗筋は理解できなくても問題ない。
作者の意図はわからないが、作品の構成は行き当たりばったりもいいところのように見える。

探偵はしきりと知性を讃えられているわりに、
作中の誰よりも異常な人物に見えなくもない。

いや、登場人物は皆おかしい。

探偵も容疑者たちも、それぞれに異常なキャラクター設定をされながら
人間味に薄く、どこか言動がちぐはぐで、舞台の上で動かされる人形のような趣がある。

江戸川乱歩は、この作品のトリックの大半は実現不可能であろうと言っている。
澁澤龍彦に至っては文庫版の解説で犯人の名前をはっきり書いている。

犯人が誰だかわかったところで大した問題ではないからだそうだ。
普通の探偵小説ならばすべて致命的な欠点となるところだが、
この作品に限ってはそうではない。

この作品を形作り、読み手にページを繰らせるのは、
話の筋や謎への興味ではない。

この作品を何より強烈に特徴づけるのは、差し挟まれる無数の情報だ。
圧倒的な量の知識、夢想、妄想、奇想、美しく気味の悪いイメージだ。

次々と登場する機械人形、外国人、光る死体、楽器、虹、
古書、警句、司書、騎士、密室、言葉遊び、物理学、心理学、
宗教、因縁、感覚の錯誤、そして大量のルビ。

ただし、仰々しく持ち出される“科学的知識”や“歴史的事実”は、
たぶんに胡散くさく、読み手がそのまま自分の知識とするには危険だ。

こういった、本筋には関係のない膨大な知識を見せつけ、
得意げに披露する衒学趣味は、
先ほど法水のモデルとなっていると書いたファイロ・ヴァンスの得意技でもある。

実際、法水麟太郎を主人公とした別作品の中には、
知識を披露した法水が「君はいつからファイロ・バンスになったんだ」
と周囲から揶揄されるシーンがある。

しかしどうして、法水の、というか小栗虫太郎のやり方はヴァン・ダインどころではない。

ヴァン・ダインの作品ではきらびやかな知識は、あくまで作品の魅力の一端だ。
骨太な本格派探偵小説の飾りなのに対し
「黒死館殺人事件」では、その知識自体が主体となっている。

ためしにこの小説の一部を引いてみる。探偵、法水麟太郎のセリフだ。

 ――だから、僕が内惑星軌道半径をミリミクロン的な殺人事件に結び付けたというのも、
 究極のところは、共通した因数(ファクター)を容易に気づかれたくないからなんだ。
 そうじゃないか、エディントンの『空間・時・及び引力(スペース・タイム・エンド・グレヴィテイション)』
 でも読んだ日には、その中の数字に、てんで対称的な観念がなくなってしまう。


ここだけ読んでも意味がわからない、と思う。
しかし前後を読んでも同じくらい意味はわからないのだ。

それどころか、この部分が丸ごと作中から無くなっても別に問題はない。
こんなような長セリフはいくらでも出てくる。

イワシなどの小魚が何百匹も群れることで
一匹の巨大な生き物のような姿をとることがあるが、
「黒死館殺人事件」も、ちょうどそんなような物だ。

一つ一つはそれほどの意味を持たない知識やイメージが無数に集まり、
一つの巨大な作品を形作っている。

生物で言えば脳や心臓のような中心はなく、骨もなく、緻密な組織もない。

だがそれだけに、読み手はその不定形できらびやかな情報の中に好きなだけ浸り、
遊ぶことができる。

幾度も幾度も「黒死館」を訪ね、そのとき目に留まった一小節を自分で膨らませ、
楽しむことができる。

一度好きになれば、愛着を持たずにはいられない作品だ。
   
   
   
   
『黒死館殺人事件』
小栗虫太郎 著(現代教養文庫)
  
  
  
長谷川 菜菜 [PROFILE]
     
   
   
長谷川 菜菜ブックレビュー:インデックス
   
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posted by ジャンク派 at 19:47 | Comment(3) | 【ブックレビュー】